式内 石井神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 式内 石井神社
読み:古 イハヰ、現 いわい

延喜式神名帳 式内社 山城国乙訓郡 石井神社
読み:いわいじんじゃ
所在地 京都市西京区大原野石作町586
旧地名 山城国乙訓郡大原野村
御祭神 磐裂大神(いわさくのおおかみ)
例祭日 10月21日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
乙訓郡(オトクニ) 19座(大5座・小14座)

近代社格制度   旧村社

創建       年代不詳
本殿様式     春日造柿葺

境内摂末社(祭神)

山神社とも山王祀とも呼ばれる 大山祇神を祭る

一口メモ

大歳神社に合祀されている式内 石作神社。地名からすれば、石井神社のある石作町内にあるのが自然なのであるが。大原野は西山ともよばれ、南北に低い丘陵地が連なる。かつては乙訓郡大原野村で、八瀬の白川女と並んで大原女と呼ばれて、美しい竹林から有名なタケノコをはじめ野菜を洛中に売りに出た農作地帯であった。
道を間違えて善峯寺の方へ行ってしまい、金蔵寺手前にあるらしいのだが、金蔵寺まで行って見当たらず、民家下からうろちょろして反対側の山道を歩いて山頂付近まで行き道がなくなり、また集落側へ戻って時間を取られた。民家へ停めさせていただき、そこの犬に吠えられたがすぐ静かになった。ナビには石井神社としっかり記されているので間違いはないと川にかかる薄い鉄橋を渡り、しばらく歩くとたどり着いた。

歴史・由緒等

三代実録に元慶4年従五位下授けたとある。山城志にも記されている。清水を神格化した古社なり。雲生水とも云ひ、清冽な涌水のある金藏寺護摩堂の北清泉の上に祀られていたが、氏子の人々が近くに祀りたいと云ふので現在地に鎮座す。

「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年

磐裂神・根裂神(いはさ・ねさく)

日本神話に登場する神である。『古事記』では石析神・根析神、『日本書紀』では磐裂神・根裂神と表記される。『古事記』の神産みの段でイザナギが十拳剣で、妻のイザナミの死因となった火神カグツチの首を斬ったとき、剣の先についた血が岩について化生した神で、その次に石筒之男神(磐筒男神)が化生している。
『日本書紀』同段の第六の一書も同様である。第七の一書では磐裂神・根裂神の子として磐筒男神・磐筒女神が生まれたとし、この両神の子が経津主神であるとしている。
石拆は石(岩・磐)を裂く程凄まじい威力、根拆と木の根を裂く程凄まじい威力という意味で、刀剣の神格化、あるいは雷神と考えられている。

境内・社叢

  
鳥居                   本殿


本殿

  
境内社 山神社とも山王祀とも呼ばれる

地名・地誌

大原野(おおはらの)

乙訓郡大原野村

1959年(昭和34年)11月1日、大原野村が京都市右京区に編入。(1976年(昭和51年)に西京区に分区)

京都市西京区の一地区。京都盆地西縁に位置。旧村名。 1959年京都市に編入。老ノ坂山地の東麓一帯の台地,丘陵から成り,モウソウチクの林が多く,たけのこの産地として有名。北東部は大規模な洛西ニュータウンの一部をなす。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

地 図

京都市西京区大原野石作町586

交通アクセス

京都第二外環状道路「大原野IC」から車で約7分 約3km

バス 阪急東向日駅・JR向日町駅・阪急桂駅より「南春日町」下車

周辺情報

金蔵寺

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他


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